プロフィール〜40歳目前妻子持ちが独立・起業を目指す〜

自己紹介

よいしょ!

はじめまして。

わたしは通称 Yoshiです。

現在、関西の営業会社勤務の40代目前の嫁・子供のいる会社員です。

自己紹介についてまとめてみました。

※過去の経歴から現在に至るまでの経歴※

高校卒業後、コピーライターになることを夢見て広告業界の勉強ができる専門学校へ入学

→23歳人材派遣業営業職勤務 →4年務めた会社を退職後転職 →自社ポータルサイトの運営・営業を1年でクビ →ベンチャー中小企業の立ち上げから約11年営業職勤務         →現在は内勤営業管理職・マネージメント

                                             →独立を目指し今の仕事とは違うスキルをとライティング・プログラミング・せどり物販・デザイン、SNSなどを勉強中。ひとりでも副収入で月1万〜3万は稼げるスキルを習得。

このブログでは、何者でもないワタシがこれまで得た15年以上営業スキルと起業・独立までのロードマップ、自分が得た知識を日々アウトプットするブログになります。

個人で稼ぎたいとなかなか1歩を踏み出せずにいる。

 

奴隷のように毎日苦しい思いをしながら働いてる。

 

結婚して子供もいるのでかんたんに仕事をやめられない・・・

 

とワタシは上記のように10年以上悩んでいました。

同じように悩んでいる人を救える、勇気をもって1歩踏み出せるためのブログにしてみせます。

詳しい自己紹介は次項から。

ボーッとぜひ読んでいただけるくらいの感じですし、ざっくりこゆ人なんだと思いながら読んでもらえると嬉しいです!

プロフィール① 0歳から学生時代

奈良県・大和高田市で4人家族の長男として生まれ、そのあとすぐに大阪に。

生粋の大阪人です。

家庭環境はいち普通の家庭で、両親は子供に甘い考えで自分はワガママに育てられ

これはほしい!これは絶対譲れない!ということを通してきてもらって生きてきました。

(そのせいか大人に、社会人になってからは思い通りにいかないことが多く、苦労しました。)

学生時代というと、特段これと言って勉強やスポーツができるわけでもなく、女の子からもモテたりとかもしませんでした。

むしろ陰キャラ的な存在でいじめられていました。

バカにされ、いつも周りからダサい、お前になんか無理と人より劣った扱いで笑われて悔しい思いをたくさんしました。

それでもなんとか自殺も考えたこともありましたが生きてます。

そして親にはよく勉強しろ、勉強しろと押さえつけられていましたが、今まで勉強をした記憶があまりなく、高校も偏差値底辺の学校へ入学することに。

プロフィール② 高校入学後

でも大学には行きたいなぁと思っていたのと、家の近くにオシャレな大学と周りから言われてた大学に行こうと高校1年の時に思ってため頑張ろうと決めてましたが、

ここでもまったく勉強もしなかったので行けず。。。

最近もそうですが、性格上最強にやるやる詐欺で、集中力がそもそもなかったのもあって

思ってる、周りに言ってる自分かっこいいみたいに思ってた気持ち悪いやつでした。

ここで切り替えられているとまだいいのですが、変に頑なになって浪人すると親にお願いして承諾してもらい予備校にも行かせてもらってました。

でも、、、

予備校に行くだけで都会に出ていたので遊びたくって予備校には一日しか行ってなく結果一年後も不合格に。

家の近くの大学には、学力が足りず絶対に合格しないと言われもするも、「舐めるなよ」と受かりもしない入試に当時、4万する試験を2日受けました。

最高の親不孝者です。。。

親も最後は呆れて大学にはなんとか行ってほしいとお願いされ、自分の学力でも合格しそうな大学を選ぶもこれまた不合格。。。

最悪です。

ここで大学入学は諦めました。

(遅い、、、)

そして浪人中にコピーライターの仕事に興味を持ちここで広告業で働きたいと志を持ってライティングが学べる専門学校に行くことになりました。

私は昔から最高なミーハー、影響を受けやすい人間だったのです。

コピーライターもドラマを見てですし、大学もドラマですし、自分の芯がなかったのかもしれません。

でもひとつ言えることは『純粋』であることだと思います。

ワタシは昔から好きなことは貫き通して今も好きです。

そこだけは揺るがないのが強みであるかなと思っています。ここの気持ちが自分の今を作り出した実績だけが取り柄かもしれません。

プロフィール③ 専門学校時代から社会人になるまで

1年浪人して、親にもお願いして入学した専門学校入学。

ここでは大学入試の失敗の二の舞はないようにとコピーライターになると決め張り切って学校へ通うことになりました。

でもやっぱり性格上のせいにするのも嫌ですが学校には通わず2年の時を過ごします。

授業内容のなかにコピーライティングに学べる講義も多数あったりもしましたが数回受けて通わなくなります。

なんとか卒業だけはしましたが、結論やはりなりたいと口にすることが目標になっていました。

けど諦めがここでも悪く、卒業後はコピーライターとしての職を探すことに。

当たり前ですが未経験の舐めきった小僧を雇う実力主義の職業で雇ってくれる会社なんてそうありません。

自分がここで甘かったなんて気づきもせず、

今思えば受けていた会社の数も少なかったこと。

ポートフォリオになる作品集もぜんぜん作ってなかったこと。

面接でコミュニケーション不足、準備不足であったことすべてにおいて不採用になるべくして

なっていたなって気づきました。

でも、運が自分に向いてくれたのかとある求人誌に、コピーライター未経験可能!みたいな求人に飛びつき採用されることが決まりました!

ここから怒涛の会社員生活がはじまりまるとも気づかずに。

プロフィール④ 新社会人になってからの経験

コピーライターの採用が決まって自分にも華やかな広告のコピーが書ける。

広告のプランニングができる!

TVでみた風景で自分に置き換えて浮かれていると、そこに待っていたのは・・・

「君はまずここでの仕事を覚えてもらうから」

 

と配属された事務所、支店の責任者にこう言われました。

まずおかしいと感じたのはスーツでの出勤。

そしてひたすら作業表といわれる用紙に企業のゴム印を押す仕事。

なにやら仕事をした風貌の汚らしい作業服をきたおっちゃんらが事務所に取りに来る報酬、給与。

ワタシが入社したのは人材派遣会社のコーディネータのしごとでした。

そこでコピーライター?なんの関係があるのだと絶望を感じた入社2日、3日間だったのを覚えています。

先輩やコピーライターとして働いている人たちがいるのかと思いきや、誰一人おらず

先輩社員からは鼻で笑われるかの如く、甘っちょろいガキが入ってきたなと思われていたのでしょう。

でも、新社会人、会社員として働くうえでそんないきなりやめてどうするんだと自分に言い聞かせて

ストレスMAXで働きました。

頑張ってたらそういった仕事をさせてもらえる、させてあげるからという言葉にそそのかされ

まったく関係ない業務を1ヶ月、2ヶ月としました。

このときある程度働いたら転職しよう、コピーライターとしての勉強はし続けようと決めていたのですが得意のやらない病ですw

ところが支店責任者の自分への仕事の押し付けが半端なく、ミスしては怒られ、

冗談を言っては冷たい顔をされワタシは間違いなく嫌われていました。

気がつけば1年、2年と馴染んで働いていました。

でもこのとき一緒に働いていた事務員さんがすごく天使みたいな女の人で

このひとのおかげで支店長にも認められることが増え長く続けられたのは間違いないです。

(ただこの事務員さんは諸事情で辞めてしまうことに・・・)

ワタシはこの人材派遣会社に4年いました。

気づけば26歳・7歳です。

そこからも自分のため、お前のため、お前が成長するためと自分が仕事をしたくない、遊びたいが故に嫌な、誰もしたくない仕事の丸フリ、休日でも自分の家族と過ごすため面倒くさいことが起こっては

ワタシに丸投げで電話が休みでも鳴り止まなかったです。

はじめはナニクソと思いながら絶対に逃げない心が身についてしがみついてやりました。

でもストレスフルで退職を視野に入れたのが26歳のときです。

結局コピーライターのしごとは自分が営業で使うDMを作ったくらいの経験しか詰めませんでした。

しかし、ここの会社でメンタルだけは身についたことはいい経験になりました。

だからこその今の地位はあるのかなと感じてます。

プロフィール⑤ 転職

求人の内容にだまされまったく人材派遣業での営業職を4年勤務

2社目の転職で今度こそはとコピーライターにつながる仕事をと意気込み探しました。

ですが、結局実力のせいにして受けた企業も少なく、結局年齢のこともあったので

焦りがでて、広告営業ができる会社に就職することに。

自社ポータルサイト運営の会社での営業職を1年経験しました。

ここではところが実力のないワタシは1年で会社の景気が悪くなったことでクビにされることに。

ここで新たに学んだのは当時はクソ会社め!と憤っていただのですが、よく会社の経営が危ういっていう理由で退職理由を話す人がいますがこれは単に自分に実力がないからクビにされたということです。

実力、会社に利益をもたらす人間なら離しませんもの。

ここでもワタシはまだコピーライターの夢を諦めていませんでした。

(※夢というかもうキモいですねここまでいくと・・・)

ほんとに口だけ魔神でした。

そして今度こそはとコピーライターになると誓うも・・・

またしてもまったく関係のない会社に・・・

ここからが自分の人生を大きく変えるきっかけに。

プロフィール⑥ 3社目の転職

3社目の会社に入社したきっかけはアルバイト感覚でコピーライターになるために

つなぎで働ける会社でとハナからやめるつもりでいました。

今いる会社です。

この会社はいわゆるベンチャー企業、設立間もない会社でありました。

ここでは自分の実力次第で3ヶ月で継続させるかさせないかを判断されるとはじめの面接でいわれ入社しました。

でもここの会社で10年続けていくことになります。

そのきっかけになったのは、当時いた営業の責任者のアツさ、実力。

性格、人柄でした。

ワタシはこのひとに認められたいと自分の営業力の無さ、自分の今までのバカさ加減、変わりたいと思ったのをきっかけに必死で働きました。

誰もがやらないことを率先してやってのけ、数字のきっかけをつくるアポイントの供給をとにかくワタシは求められたことでアポイントをその会社で誰よりも取りそこのポジションで輝くことに。

はじめはその人に憧れ営業に出たい、お客さんとの折衝をしたいと考え、自分で取ったアポで自分で営業するスタイルでとにかく勝ってやろうと。

でも現実はそんなに甘く有りません。

自分には営業ができないと苛まれた日々が続きます。

でも自分が求められた場所で求められるスキルをとにかく磨こうとテレアポのプロになってやろうと思うことに。

思えば昔から電話を使ってなにかきっかけ・出会いを作るということは小さいころからやっていて天職なのではと感じていました。

好きな芸能人に会いたいがゆえ、個人電話帳を取り出して家の電話で電話しまくったこと

(今思えば載ってるわけないw)

彼女ほしさに自分の携帯電話番号の下4桁の0000〜9999で出会いを求めSMS・電話しまくったこと(怖い・・w)

4年勤めた会社で単発の仕事の人員確保に登録者に毎日100人以上電話し続け売上につなげたこと。

コピーライターになりたい・なれないが続いてやってきたことは無駄ではけっしてなかったなって

ほんと思います。

そして、10年。

今の会社で管理・従業員を育成する立場で働いています。

給与も昔に比べるとかなり上がりました。

でも物足りない。もっと稼ぎたい。

自分のチカラで稼いで今の所得をとにかく上げる。

独立・起業してもっと稼ぎたい。

そう思う気持ちが強くなりました。

なぜ独立・起業をしたいのか。

3つあります。

1;お金で悩むことをなくしたい。

2;好きな時間に好きなことをしたいから。

3;やる気のない人間の育成・教育をしたくないから。

この3つです。

いまはSNSなど普及して個人で稼ぐにはもってこいな時代なんだと、いろんなインフルエンサーや稼いでいるであろう人を見て思います。

諦めきれなかったコピーライターとしても、企業に勤めなくとも個人で請けられる可能性もあるとわかりました。

ワタシは今結婚して子供もいます。

いきなり会社を辞めて独立するなんてリスクはあります。

でも上記で述べた3つをとにかく改善したい。

それがストレスMAXになってきたから。

お金が理由で買えないっていうストレスが嫌だから。

好きなことをしたいと思ったときに会社に行かないといけないのが嫌だから。

やる気がない人間の教育をしてそのことで責任を追いたくないから。

同じような考えで動けない人がいるのではないでしょうか。

そんな人の起爆剤になる。社会人23歳のころから我慢ばかりして動けなかった自分のようになってほしくない。

だからこそ、このブログで発信する自分の得た営業のスキルの発信。

 

副業から独立・起業するまでの行動・方法などを発信して過去の自分に伝えたい。

お前はできる。

誰でも行動さえすれば夢は何歳でも叶うということを。

そんなブログにしてみせます。

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